1カ月間毎日、多摩動物公園に行ってみた。4日目

こんにちは、今日も多摩動物公園は36度の猛暑日です。頭がくらくらする瞬間が何度かあり、逆にテンションが上がりました。

意識がもうろうとした中たどり着いたのがここ

でっかい鳥小屋。

数種類の鳥が放し飼いされており、それぞれの鳴き声で非常に賑やかだった。めちゃくちゃ近よってもあまり怖がる様子もなく、不遜な態度でほっつきまわってくれるので、間近で動物たちを見たい鳥好きの方々にはおすすめスポット。

見てくださいこのカモの完璧なカラーリングセンス、ほれぼれしますね。

 カモといえばいろんな侮蔑用語に転用されがちだが、こいつはカモだ(騙されやすい奴の意)という言葉は、カモが捕まえやすいことに由来しているらしい。大変失礼な話ではあるが、実際こんなに近よっても、状況を全く把握していない表情を浮かべながらグエグエ鳴いているのを目の当たりにすると、確かにこいつはカモだなと思わざるを得ない。  

 1カ月マンがカモを撮影している横を通り過ぎて行った仲睦まじそうな若い男女がいた。彼らの立場になって想像すると、知らん男が一人でカモを眺めている光景は、変態が真っ昼間から特殊セイヘキを満たしているように見えたのではないかと勘繰ってしまったが多分杞憂だと思う。もしくは、この目撃体験に衝撃を受け

「修羅の果て 悪鬼が一人 カモを食む」

などと一句読んでしまったのでないかと勘繰ってしまうが、これはいい線言ってるかもしれない。

 そんな彼らは実際には、一カ月マンのことなど気にも留めず、ごく自然な会話を交わしていたのですが、そのうちの女性が放った一節を紹介したい。

「この鴨おいしそーなんか見てたらおなか減ってきちゃったぁ、あははは」

 

 一カ月マンは歓喜した。なぜかといえば、この種のおいしそうジョークがめちゃくちゃ好きだからだ。似たような例を挙げると、水族館で魚を見たときにおいしそうと発言する、などが代表的な例だが、一カ月マンは差し込める場面があれば必ずおいしそうジョークを発言するよう心掛けている。

 このおいしそうジョークは、素朴であれば素朴であるほど胸打たれるのだが、少しでも邪心が滑り込むと、たちまち冷静さを取り戻してしまう。例えば、優れた美術作品の感想を求められた際に、その超絶技巧や、歴史的意義、革命的表現方法を評するのではなく、ちょっと映り込んでいる飲食物に対して、この牛乳おいしそうーと発言する場合には、感触が違ってくる。

 もしくは、水族館で魚をみたのち、今夜は寿司だなと言ったり、動物園で鳥を見たのち、この辺ケンタッキーってあったっけ、など、おいしそうジョークの婉曲表現はいくつか存在するが、純粋なおいしそうジョークには敵うべくもない。

 動物園や水族館のような動物倫理的にアウトともいえるしセーフともいえるような、絶妙で、不安定な状況でこそ、シンプルなおいしそうジョークの様式美は燦然と光り輝く。シンプルである必要があり、そこに、入り組んだレトリックは必要ない。まっすぐストレート、無駄なものはそぎ落とした、純粋なおいしそうジョークでしか救えないものが絶対にある。そう一カ月マンは確信している。

 

 ただ、正直おいしそうジョークはそんなに面白くない。一カ月マンはシンプルなおいしそうジョークを聞いて、腹筋がねじ切れ、ちぎれた腹筋の反動で、腹筋以外の身体が横須賀まで飛んで行ったという話はしていない。

 面白さはみじんも感じたことはないし、おいしそうジョークを発言するたびに顔から火が出るほど恥ずかしく、もう二度とこんな思いはしたくないといつも思う。

 でも、なぜか知らないけど、おいしそうジョークが大好きなのだ。なぜかあれを聞くと嬉しくなる。なぜだかわからないけど、愛が込められているように感じてしまう。おいしそうっていうだけなのに。すっごい好き。

 皆様にもぜひ、おいしそうジョークを積極的に使用していただいて、このいとおしい風習を風化させないよう努めてもらえれば、これ以上に幸福なことはない。

 しかし、これを読んでいる方々の中に、こんな批判をする人がいるかもしれない。

時代錯誤の処女信仰だ!臆病物の反知性主義だ!典型的な自然主義的誤謬だ!恥ずべき逆転技法だ!正しい発音はピーニスだ!

 確かにその通りだ。これらのご指摘は完全に図星で、それと同時に完全に知ったこっちゃないので、少しだけ参考にさせていただいて、これからの日々を建設的に過ごしていくために役立たせていきたいと考えております。ありがとうございました。