1カ月間毎日、多摩動物公園に行ってみた。23日目

こんにちは。幻想的な飯。

コアラ館の中にいたなんちゃらワラビーみたいな名前の奴の飯が神々しく照らされていて、この飯が展示されている動物なのかと一瞬勘違いしてしまった。フルーツなどがバランスよく配給されており、飯の時間をできるだけスペシャリティなものにしようという飼育員の方々のエンタメ精神が冴えわたった空間だった。

 この動物の写真は撮れていなかったんだが、移動姿勢が特に好きで、前足は恨めしやの時みたくちょこんと胸の前にそろえて、後ろ足をほとんどくっつけるくらいの距離に近づけ、ぴょんぴょん跳ねながら前進する様子がいじらしいかった。もしこの小さき有袋類がご幽体され化けて出てきたときには、恨めしやポーズはなれたものだろう。

しかし、一般的な幽霊は下半身が徐々に先細って消えかかっているデザインの方が多い。そうすると、生前移動する際には上下にはねていたが、幽霊になって足がなくなってしまってはスーッと移動するほかなくなる。浮遊状態からどのような物理法則を利用してスーッと移動しているのかはわからないが、これではワラビーみたいなやつも釈然としないというか欲求不満を募らせるだろう。上下運動のリズム感、内臓の振動、視界の揺らめき、そのすべてが生きていることの実感につながっていたはずだし、生きることすなわち前進すること、すなわち上下運動であったはずだろう。

 これらが奪われてしまっては生きている心地がしない、生の躍動を感じることができない。まあ、死んでいるので当然のことなのだが、実際死んだら当の本人はそんなこと認めたくないはず、皆さんもこのワラビーみたいなやつのように上下運動させてえと思うにきまっている。そこでワラビーみたいなやつはどうするかというと、上下にスッススッスと動いてあたかもジャンプしているかのように移動するだろうと思う。まるでドラッグアンドドロップの状態で、上下にジグザグ動かしたときみたいになめらかなんだけど少しだけ緩急がついているあの感じでスッススッス迫ってくるだろう。全盛期のぴょんぴょん移動にかなうはずもないが少しでも、あの時の当たり前にあった幸福を思い出していただければこれ幸いと存じ上げ候である。ありがとうございました。

 

1カ月間毎日、多摩動物公園に行ってみた。23日目

こんにちは。幻想的な飯。

コアラ館の中にいたなんちゃらワラビーみたいな名前の奴の飯が神々しく照らされていて、この飯が展示されている動物なのかと一瞬勘違いしてしまった。フルーツなどがバランスよく配給されており、飯の時間をできるだけスペシャリティなものにしようという飼育員の方々のエンタメ精神が冴えわたった空間だった。

 この動物の写真は撮れていなかったんだが、移動姿勢が特に好きで、前足は恨めしやの時みたくちょこんと胸の前にそろえて、後ろ足をほとんどくっつけるくらいの距離に近づけ、ぴょんぴょん跳ねながら前進する様子がいじらしいかった。もしこの小さき有袋類がご幽体され化けて出てきたときには、恨めしやポーズはなれたものだろう。

しかし、一般的な幽霊は下半身が徐々に先細って消えかかっているデザインの方が多い。そうすると、生前移動する際には上下にはねていたが、幽霊になって足がなくなってしまってはスーッと移動するほかなくなる。浮遊状態からどのような物理法則を利用してスーッと移動しているのかはわからないが、これではワラビーみたいなやつも釈然としないというか欲求不満を募らせるだろう。上下運動のリズム感、内臓の振動、視界の揺らめき、そのすべてが生きていることの実感につながっていたはずだし、生きることすなわち前進すること、すなわち上下運動であったはずだろう。

 これらが奪われてしまっては生きている心地がしない、生の躍動を感じることができない。まあ、死んでいるので当然のことなのだが、実際死んだら当の本人はそんなこと認めたくないはず、皆さんもこのワラビーみたいなやつのように上下運動させてえと思うにきまっている。そこでワラビーみたいなやつはどうするかというと、上下にスッススッスと動いてあたかもジャンプしているかのように移動するだろうと思う。まるでドラッグアンドドロップの状態で、上下にジグザグ動かしたときみたいになめらかなんだけど少しだけ緩急がついているあの感じでスッススッス迫ってくるだろう。全盛期のぴょんぴょん移動にかなうはずもないが少しでも、あの時の当たり前にあった幸福を思い出していただければこれ幸いと存じ上げ候である。ありがとうございました。

 

1カ月間毎日、多摩動物公園に行ってみた。22日目

こんにちは、「こんにちは」なのか「こんにちわ」なのかどっちが正しいのかわからないが、両方をバランスよく使って生き残ったほうについていこうと思う。

 つるみたいな鳥、名前は覚えてない。動物園において鳥は、メインを張れるパワーを所持しておらず、基本的には隅に追いやられている。しかも、飛んで逃げて行くことを阻止するために大きな鳥かごに覆われているので観察しずらい。主役にはなれない理由がたくさんあるが、一カ月マンが小学生くらいの頃、ある鳥が多摩動物公園内で燦然と輝いていた。

 それは、クジャク。なんと多摩動物公園では一昔前、クジャクを園内で放し飼いしていて、男子便所で身だしなみを整えている姿や、おんどりのケージの前を挑発的に通り過ぎていく様子を間近で見ることができたらしい。ただ今ではその姿は見られず、なんともさみしいものですね。

 クジャクといえばやっぱり、あの何の意味もないように見えるでかすぎる羽でしょう。調べてみると

  • 整った羽を持つ個体は、寄生虫などに冒されていない健全な個体であると同時に生存に有利な遺伝子を持つことをアピールでき、優先的に子孫を残せるという説(オネストアドバタイズメント理論
  • 捕食されやすい長い上尾筒を持つことで、健全な個体であると同時に生存に有利な遺伝子を持つことをアピールでき、優先的に子孫を残せるという説(ハンディキャップ理論
  • 長い尾羽を持つオスの遺伝子と長い尾羽のオスを好むメスの遺伝子が互いを選択した結果、オスの尾羽が長くなったとする説(ランナウェイ説

    ja.wikipedia.org

    などいろいろな説があるらしいが、よくまあ考え付くなあと感心する。何でそんなにでかい羽根を携えているかクジャクに聞いても、知りませんの一点張りで不機嫌になられるだけだろうし、過去に戻りすべてのクジャクに一匹ずつ同じ質問をしても同じことだろう。正直、クジャクの羽がなぜこんなになっているか確かに不思議に思うが、それを検証してみようとはみじんも思わない。おそらく、とんちきなクジャク好きが、採算度外視で、熱意のみでひりだした説なのだろうが、もっとやっちゃってほしい。      

   おそらく真実は誰にもわからず、たとえ真実を突き止めたとしてそれが何になるわけではない。たまたまでかい羽根になった説が一番有力だと一カ月マンは考えているが、それが真実だとしても、何も言っていないのと同じだろう。人間生活全般は極端に考えればなんになるわけではなく、なんにも言っていないのと同じことなので、皆さん気楽にやっていきましょう。 ありがとうございました。

 

1カ月間毎日、多摩動物公園に行ってみた。21日目

こんちわ、シマウマが草を食べていました

 なぜシマウマは縞々模様を獲得したのか一カ月マンはとても気になりましたのでインターネットで調べてみると、研究者の間でも何が何だかよくわかっていないらしい。群れを成したときにでっかい大きな個体に見えるとか、草に紛れて見えずらいとか、太陽光熱を吸収しづらいとか、単純にかっこいいからとかいろんな定説があるが、どれもそんなことはないかもという実証結果があるらしい。

 結局一番有力な説は、刺す系の蚊やアブやらの虫がなぜか縞模様を嫌うらしく、ただの馬に白黒模様をペイントしてみてもその傾向が認められたということで、虫よけになっているというのがいい線言ってるらしい。なぜ蚊やアブが嫌うのかはよくわからんみたいで、研究者ももうええわを連発してるとか。

 一カ月マン的には、時系列を若干無視してでも仲里依紗ゼブラーマンに出演していたからという理由であってほしい。見たことはないけど、あんなに仲里依紗が頑張っていたのだから、それ相応の報酬はあってしかるべきだし、ハチワンダイバーのドラマ版でメイド服姿を披露していたこともあったのだからなおのことだ。ちなみに仲里依紗に対する思い入れはほとんどないし、出演している映画やドラマもほぼ見たことないのだが、なぜか仲里依紗のことが好き。無条件に存在自体が好印象で、できるだけ幸せに自分の人生を全うしてほしいと願っている。

 特に今の仲里依紗は、自分自身がありのままで生きることに喜びを感じているような感じがする。誰かが、できるだけ多くのことにとらわれずのびのびと生きている様子を見ていると、清々しい気持ちになってこっちもうれしくなる。おそらく子供が木の赴くままに走り回って遊んでいたり、何かしらを凝視してその不思議さを全身全霊で受け止めている最中の顔なども見ているだけで幸せな気持ちになる。

 どうか全世界のシマウマも、その祖である仲里依紗も、自分が自分でいてオールオッケーという気持ちで生きていけることを心から願っている。

 なので皆様も一カ月マンの存在を肯定してくださいね、とそいつが言うと一気にそんなことはなくなるのが人間の不思議なところ、白黒はっきりしないグレーな存在ですね。ありがとうございます。

1カ月間毎日、多摩動物公園に行ってみた。20日目

こんちは、カモシカ

 実は牛らしい。カモでも鹿でもなく牛科の動物であるらしい。カモの部分は全く意味不明だが、鹿と言われればそうとしか見えないので、分類のほうが間違っているのではないかと思えてくる。よーく見てほしいのですが、目の下にも一個目のようなものがついているのがわかるだろうか。一見すると四ツ目の怪物に見えたりもして、へんてこな生き物だなあと感じるが、実際はなんかの分泌液をここから出す穴らしい。

 四つも目があったらめっちゃいいなあと空想したが、眼鏡とコンタクト費用がかさむのでやっぱりあんまりよくないのではと思った。ならば、カイリキーか気合を入れたときの天津飯みたいに腕が四本あるというのはどうでしょうか。腕が四本あれば、風呂に入ったとき、頭を洗いながら体を洗うこともできる。あと、コマネチをしながら飯を食うことも簡単にできるだろうし、ラジオ体操をしながら数独をすることも可能になる。   

 いいことづくめで欠点なしのような気がするがよく考えてみるとそんなこともないかもしれない。まず服がない、タンクトップやオーバーオールくらいしか選択肢はなく、おしゃれの方には少しつらい。カイリキーなんてパンツいっちょにチャンピオンベルトを巻いているいで立ちであり、四本腕生活が長く続くとあんなことになってしまうかと思うと恐ろしい。

 もしくは、四本腕人間に道を尋ねたときのことを想像してほしい。その四本腕男がその辺出身で道に詳しかった場合、スマホなどは見ないだろうから、颯爽と一本の腕だけを郵便局の方角に向け、この道をまっすぐでつきますよーとかかっこつけて教えてくれたとする。その時あなたなら何を思うだろうか、一カ月マンであれば「腕三本持て余しているなー」と感じてしまうだろう。だらんと垂れ下がった三本の腕と、方角を指し示すために掲げられた一本の腕とを見比べることで、三本腕のほうの無駄に存在している感が強く感じられてしまい、この人に道を聞かなければよかったと後悔する羽目に陥るのは間違いない。

 普段の生活の中でも、ペイペイで支払いをしているときや、チョークで黒板に何か書いている後ろ姿などを見たときも、なぜかこっちが損をしているかのような錯覚を感じるかもしれない。そんな風に周りの人間が無用に神経を痛めるのは、四本腕人間としてもしんどいので、これはやめておいたほうが得策だろう。  

 では何が四つあればいいかといえば、みぞおちとかでよろしいのではないでしょうか。弱点が増えたほうが人間味が増して親しみやすいので。 ありがとうございました。

 

 

1カ月間毎日、多摩動物公園に行ってみた。19日目

 こんにちは、一カ月マンは、サルでもわかる○○みたいな文章を見たときに言いようのない怒りをかすかに感じる。

 それは、人間の果てしない傲慢さを感じ取るから。プラス、自分がサルであるという自負心を持ち合わせているから。サルを馬鹿にしないでほしい。

  一カ月マンはサルのことが好き。他人のお母さんが握ったおにぎりは食べれないが、他人のサルのお母さんが握ったお握りなら全然食べれる。むしろ喜んで食べるだろう。

ていうか、他人のサルのお母さんがスクワットしながら握ったおにぎりでも余裕で食べれる。そのほうがなおいい。なぜかわからないがスクワットしながらおにぎりを握らされ、変態人間にそれを食われるという、意味不明状況下で身体も思考も硬直化し、完全にてんぱっているサルの瞳をまっすぐ見据えながら鼻息荒くおにぎりを貪り食いたい。ボクサー同士が対戦前に報道陣に囲まれながら、メンチを切りあう謎の儀式があるが、あれのようにほとんどゼロ距離で挑発しつつ、お母さんサルのメンタルに対してなんでもいいから影響を与えたい。もちろん目線を合わせるために一カ月マン自身も一緒にスクワットをしながらであることも忘れないでほしい。

 願わくばではあるが、他人のお母さんサルが知らん人間にスクワットしながら握ったおにぎりを食べさせるという理不尽な要求を承諾した動機が、善意であればこんなにうれしいことはない。その善意をがくじける瞬間を目の当たりにしながら食べるおにぎりはどれほどうまいことだろうか。お母さんサルは「誰かのためになるのであれば、自身の心労など構うことではありません、いくらでも協力いたします」的なことを最初はいうだろうが、この珍事を体験した後には「無念」と一言つぶやき、憎しみを込めた瞳で私のことを見つめてほしい。

 ここでのポイントは、一カ月マンは法的には何の罪も犯していないということである。刑事でも民事でも裁くことができない事態に対しては、報復するすべはなく、せめてもの報いとして倫理の側面から非難をぶつけることしかできない。その非難が何よりも至高のおかずになるところが倒錯した一カ月マンの持ち味であり、欠陥でもあるのだが、人間というものは押しなべて気色の悪いもの、矛盾そのものであるから何とか溜飲を下げていただきたい。

 しかしこれはただのプレイであることを皆様方には了解していただきたい。本気ではなくふりをしているだけなのです。本当の変態はもっと凄まじい。これはただの猿真似ですのであしからず。

ありがとうございました。

1カ月間毎日、多摩動物公園に行ってみた。18日目

 こんにちは、もし多摩動物公園に友達のおばあちゃんと行くことがあれば、ぜひここに訪れてほしい。

 何てったて冷房ガンガンで快適なことこの上ない。じいちゃんやばあちゃんなどは、現代の暑さに適応しきれていない場合が多いので、下手をすると虫の息、もっと下手をすればご臨終なんてパターンもあるかもしれない。多摩動物公園で絶命してしまうと、猿山から脱出したサルが一匹死んだと勘違いされてしまい、葬儀もろもろがおざなりにされるかもしれぬので、これはまずいと感じたら昆虫館へ急いで避難しよう。

 ただ、昆虫が苦手な方であれば話は違ってくる。館内には、嫌われ者ランキングぶっちぎり第一位のゴキブリ君が飼育されており、虫がそんなに苦手でない1カ月マンでもぞわぞわしてしまい、普通にムカついてしまった。

 この文章を書いているたった今深夜一時ごろ、視界の隅に小さな黒い影が素早く動いたのを捉えたのでよーく見てみるとちゃんとしたゴキブリがこちらを見つめていた。

ゴキブリと出会うときは基本的に、何かの気配を察知し、移動する黒い点を視界のギリギリでとらえた後、奴と目が合い数秒時間が止まる、という流れをいつも繰り返しているがあれなんだろう。向こうも映画のワンシーンみたいだなーとか思いながら、お互いの時が流れ出した瞬間に脳内BGMを爆音で流したりしているのだろうか。ちなみに私は、ビートたけしや、たけし軍団が消火器を噴射しながらどこかの部屋に乱入していくときに流れる「デーデーデー、デーデーデー、デーデーデー、デーデーデ、デーッデッ

ッデッデー」という音楽を流しながらゴキジェットを噴射している。

 虫も殺さない優しい人間がたまにいらっしゃるが、あれは大変素晴らしい心構えだと思う。もしこのような聖人が、「じゃあ牛や豚は食ってるのはどういうことだ!」と問われれば、「生きるための殺生はやむおえません。気持ち悪いからと言って殺すのとはわけが違います。」と答え、「一寸の虫にも五分の魂というがあれはどういう意味だ!」と問われれば「どんなに小さく弱い者でも、それ相応の意地や感情があり侮ってはいけない。翻ってすべての命に敬意を持ちましょうという意味でございます。あなたの命と同じように」と答え、「お前いい奴だな、来月どっかタイミング会う日あったらお前の最寄駅まで行くからのもう!まじでいつでもいいから!いつ空いてる?」と問われれば、「来月いっぱいは友達のペットのマンチカンを預かる予定がある故、無理でございます。」と答えるだろう。

 「じゃあお前の家で飲みでもいいけど、てか、いやだったらいってね、無理やりっていうのも申し訳ないし!」とLINEで問われれば、既読無視して一カ月後にブロックするだろう。ありがとうございました。