1カ月間毎日、多摩動物公園に行ってみた。17日目

 こんにちは、皆さんはジャンプ力に自信がありますか?たぶんないと思います。ヒマラヤタールに比べるとなおさら自信を喪失するでしょう。

 ヒマラヤタールは三角跳びをすると230cmもの高さを飛び越えるらしい。天敵であるユキヒョウ姉さんからも逃げられるくらい高く跳ぶらしいが、三角飛びでないと逃げられないのが正直不憫。自然界の中に三角飛びでちょうど逃げ切れるような立地はそうそうなさそうだし、運よく飛び乗れたとしても、ユキヒョウ姉さんが三角飛びをしたらどうせヒマラヤタールより高く跳ぶだろうから、どうにもならずに食べられて終わると思う。

 下から順に、ジャンプ、ユキヒョウ、三角跳びと高く跳ぶ順に並んでいるが、ジャンプと三角跳びのヒマラヤタールの立ち姿が全く同じすまし顔なのがなぜか鼻につく。

カメラ目線、精悍な顔つき、そろった前足、どれをとっても、見れば見るほどしゃらくさい。まず175cmジャンプしている時点で、通常の人間よりも高く跳べているのだから、この段階で小さめのガッツポーズくらいしてもらわないと人間としても立つ瀬がない。

 おそらくヒマラヤタールは、ここで喜んでしまっては人格を見くびられてしまうのではと恐れを抱き、「このくらいのこと賞賛には値しません、名乗るほどではありません」みたいな顔をした。そうすることで、冷静でかっこいい思慮深い人と思われたかったんだと思う。しゃらくさい。

 自分が素直に喜ぶことによって、「あほみたいによろこんでらあ、かわいいとこあんじゃん」と見下される可能性を排除し、「あんなにすごいのに、謙虚さを忘れないなんてすごいわねえ」と、尊敬されることを選んだように見える。この、うその謙虚さによって隠蔽された狡猾さが臭って鼻につくのだろう。

 一カ月マンのように荒んだ心を持つ人間は、露悪的な振る舞いの中にしか誠実さを見いだせない。そのことをこのすまし顔のヒマラヤタールは知らないのだろう。私はぜひ、タール兄さんには三角飛びをした後人間とユキヒョウ見下しながらこう言い放っていただきたい。「よっしゃあ!!こんだけ跳んだ!このジャンプは、俺だけのもんだ!誰にも渡さねえ!跳んだ、跳んだんだ!ひゃーはっはっはっは!!生きてる!生きてる!俺だけが、俺だけが生きてる!かかって来いよ!俺の名前は、ヒマラヤタールだあああ!」と。その時、傷ついた私の魂はより多くの傷を負うだろう、そして、痛みの数だけ、救いを見出すだろう。ありがとうございました。

1カ月間毎日、多摩動物公園に行ってみた。16日目

 こんにちは、もう何でもいいのでさっさと八月が終わってほしいです。

 トラ。

 ネコ科ということもあって、ただの大きい猫のようにかわいらしいしぐさを見せる時もあれば、いつでもやってやんぞくそ饅頭、という目つきでおっかない瞬間もあり、その二面性がトラの魅力かなと思います。

 とか思っていると昔の人も同じことを考えたことがあるようで、「猫にもなれば虎にもなる」ということわざがあるらしい。そういえばトラって何個かことわざになっていて、ぱっと思いつくので言うと「虎穴に入らずんば虎子を得ず」。

 前から思ってたけど、ずんばってここ以外で使ったことがない。もったいないので試しに使ってみる。鼻の穴ほじらずんば糞を得ず、箒星眺めずんばバンプなんにも得ず、貞子黒髪ロング携えずんば恐怖を得ず、角刈りであればなおのごとし。このくらい使っておけば、ずんばも成仏できるだろう。 

 ことわざだけで50個くらいあり人気がすごいんですが、ことわざ以外でいうと小説でもトラが登場するものがある。そう、山月記ですね。

 概要を説明するとたしか、李徴という名の男が、会社員はしんどいので楽して尊敬されたいなーと思い、芸術家を目指したが、そのアーティスト活動の中で自意識をこじらせてしまい、結果タイガーマスクに変身してしまった。みたいな内容だった気がする。

 ほいで、李徴君は旧友のえんさんとかいう男に会って、ラリアットを少し披露したのだけど、「筋はいいんだけど、なんか微妙」とリアルな批評を食らってしまい、図星を突かれたと感じる。なぜなら、でっかい動きをするのが恥ずかしかったからイメトレだけしてあんま練習してなかったからで、出来がよろしくないのは当然のことだったから。そのあと色々自意識の揺らぎをかっこよく説明し続けた後、草むらに消えていき、最後は遠くのほうで月光に照らされながらタイガーステップを踏んでいたという落ちだった気がする。

 一カ月マンはこの物語が大好きで、折に触れて読み返している、李徴のようにタイガーマスクにならないために。この文章も、李徴のラリアットであればいいと願っている、タイガーステップを踏まないために。ありがとうございました。

 

1カ月間毎日、多摩動物公園に行ってみた。15日目

 こんにちは、動物園に行ったことは覚えているのですが、毎回同じような景色を眺めているので変化があまりなくうんざりしてきた。そこで、虚無を打ち晴らすべく、動物はもうええわという突込みを屁に込めて虚空に向けて放ってみた。園内の地下と空中含めた全体の空間にまんべんなくヒットするよう、丹田の中央に思いを込め、そこから放射線状に広がる突っ込みという名の屁をこいた。すると、その屁は園内のすべての動植物と人工物を透過し、世界を黄色く染めたのち、満足げな顔をして宇宙のかなたへと消えていった。というイメージを持つことによって、現実世界に何らかの副作用を及ぼそうとしたが、けつが臭くなった以外のことは何も起こらなかった。

 そんなわけで、今や動物ではなく人工物に対して興味を持ち始めた。

柵の中に入らないでほしいみたいで、かなり実直に、ストレートに思いのたけをぶつけている。これは大変わかりやすく、私は柵の中には入らないでおこうと思えた。

 つぶらな瞳でこちらを見ているサイがダジャレを交えつつ、注意喚起を促している。子供にもわかるようにひらがなで書いてあり、とても親切で、親しみやすさを感じる。これも素晴らしい看板だね。

 

 なんと、日本語話者ではない人々のために英語で書いてあり、国内だけでなく全世界へ向いている射程の広さに驚きを隠せなかった。しかも、「はいっちゃだめよ」と語尾が女性口調であることで、男性だけじゃないわよ、でっかい花火を打ち上げるわよ、袋もレシートもいりません、けどね、ポイントカードは持っているわよ、などの女性的な主張が醸し出されている。全方位に対して思いを巡らせているのが感じられるのですっごい気持ちいいい。

 皆さんはこの文章のどこが好きでしょうか、私はもちろん「ベストポジション、譲り合っておねがいします。」の部分がダントツで好きですね。なぜこんなにも良い感情が生まれるのかわからないが、文章のリズム感、見た目、ワードチョイス、どれをとってもすごくかわいらしく、いい気分になる。ベストポジション、もちろん譲りますのでおねがいします。なんてことを言いながら、

 これだけ怖い。切り倒した木や、土砂的なものがいったん集められている場所があるのだがそこに鎮座していた看板。赤に黒字で「消石灰置き場」も怖いのだけど、子供に語り掛けるような口調が一番怖い。年端もいかぬ子供たちに消石炭とかいうわけのわからんものを運ばせていた可能性がある。もしくは、人件費をちょろまかすために知能の高いサルやゴリラに無償労働を強いていた可能性もある。

 動物園はそれくらい経営困難に陥っているのかもしれないので、これ以上不幸な子供や類人猿を生み出さないためにも、みんな動物園へ行こう。ありがとうございました。

1カ月間毎日、多摩動物公園に行ってみた。14日目

 こんにちは、もう動物園に行くことに何の感情も芽生えないようになりました。毎日動物園へ行き、来る日も来る日も動物たちのお世話をしている飼育員の方々を心の底から尊敬します。きっと動物がめっちゃ好きなんだろうな。お疲れっす。

 そんなわけでタ―キン

 お茶の水博士のような大きな鼻を持つ、牛みたいな生き物。いつ見ても、座り込んで草をもしゃもしゃ食べてあんまり動かなかったのだけど、今日は珍しく立ち上がってウロチョロする姿を見せてくれた。

 金色の体毛に覆われ、ゴールデンタ―キンとかいう輝かしい名前で呼ばれているが、その最大の特徴は臭いことらしい。なんでも、体から出てる油が臭いみたい。一応寒さや雨から身を守るという実用効果があるらしいが、「そんなん知らん、風呂入れ」と一蹴したくなるくらい臭い。このタ―キンがどんな歴史的偉業を成し遂げようと、いつでも道徳的に一部の隙もなく善であろうと、そんなものは一瞬にして無に帰すほどに、とにかく臭い。研修三日目の飼育員が「臭いので今日でやめさせていただきやす」などとなめた態度をとったとしても、スムースに退職手続きが進んだうえ、失業手当と労災が満額支給されることが不思議ではないほどに臭い。とにかく臭い。

 ただ私は案外この手の獣臭や脂臭さが嫌いではない。一般的な人からすればあまり好ましくないだろうと予測して書いているだけで、個人的にはむしろすきまである。タ―キンちゃんありがとう、変なこと書いてごめんね。

 最後に一つだけ、この悪臭きわまる文章を読んでいる皆様がたにぜひとも覚えていただきたいことがある。それは、臭い人物に面と向かって臭そうなリアクションをとってはいけないということである。絶対に、ぜっっったいにやめましょう。人が殺人欲求を最も掻き立てられる瞬間は、誰かに臭そうなリアクションをとられた時です。なんかの韓国映画のラストシーンでも、この禁忌を破ったがために殺されてしまった人を見たことがあります。それくらい危険な行為ですので、絶対にやめましょう。

 あなたも死にたくなければ、高評価、チャンネル登録よろしくお願いします。ありがとうございました。

 

1カ月間毎日、多摩動物公園に行ってみた。13日目

こんにちは、本日は過去一やる気がなく、入場ゲートから侵入して五分で退場ゲートから出て行ったため、写真を一枚もとっていない。なので過去に撮ったサイをどうぞ。

 

 この日は36度越えの尋常ではない暑さで、1カ月マンは息も絶え絶え滝のような汗をかきながらウロチョロしていたのだが、サイも同じく死に体のご様子だった。

水中にもぐり鼻からぶくぶく気泡を放出したのち、水面へ浮上、いっぱいの空気をを吸引し、また水中にもぐるという動作を永遠と繰り返していた。ふごーとかシューとかでかい音を鳴らしながら潜水艦のように上下に浮いたり沈んだりしていて、圧巻の迫力だった。 

 サイの最大の特徴はやっぱり角でしょうね。聞いたことがある人も多いかもしれないが、あの角は骨ではなく、体毛の一部らしい。毛ががちがちに固まってあの形状になるのは本当に意味わからない。神が、「汝その角で、欺瞞に満ちたこの世界に、風穴をぶちあけたまえ。サッポロ一番塩ラーメン」と麺類をすするジェスチャーを交えながら十字を切ったことで生えてきたとかあるかもしんないね。 

 そういえばアンジェラアキが、「サイへーこの手紙ー読んでーいるあなたはー」とサイに手紙を書いた歌を販売していたが、すごい発想だなと感心する。15歳のサイが負けそうで泣きそうで消えてしまいそうだったらしく、そのサイを励ますために手紙を書いているという世界観だった気がするがトンチンカンにもほどがある。

 サイが負けそうで泣きそうで消えてしまいそうだったかどうかは、当のサイにしかわからないはずなので、勝手にかわいそうに思って上から目線で応援されてもサイにとっては余計なお世話でしかない。百歩譲って、それはサイに直接言えばいいことで、わざわざ歌にして全国に発表されては迷惑だ。ていうかそもそも、サイは人間の言葉が理解できないので、この歌はサイには届かず、人間にしか伝わらない。

 だったら、最初からサイでなく人間に向けて歌っていれば何の問題もなかったのになぜサイに向けて歌ってしまったんだろう。しっかりしてくれ。 

 ちなみに皆さんにぜひこの歌を聴いてほしいのだが、冒頭の、「この手紙ー」の箇所が何回聞いても「このてがみぇー」に聞こえる。頑張れば羊の鳴き声にも聞き取れる、もしかすると羊に向けても書いている可能性も捨てきれず、つくづくアンジェラさんは変な人だあと感じた。

 でも曲自体はめちゃめちゃいいので鬼リピよろしくお願いします。

 
 

1カ月間毎日、多摩動物公園に行ってみた。12日目

 こんにちは。今日もまた多摩動物公園にやってきました。

 シロフクロウちゃん。ふわっふわでかわいいですね。フクロウカフェなんてものが巷では流行っているらしいですが、その理由もわかりますわかります、だってこんなにかわいいんだもん、あっちいけ!と書いてあるプラカードを掲げながら、センター街を歩き回ってみたいぐらいかわいい。もうほんとにかわいいなんでこんなにかわいいのかというと、まずは目ですね。三白眼気味でキッと吊り上がった瞳は、ちょっと見ると怒ってそうなんですけども、よーく見るとかっこつけているようにも見えて、グーっと記憶を掘り起こしてなんだっけなーなんかに似てるなー怖いなーと思っていると、バッドボーイのロゴに似ていることに思い至った。

 平成中期のどうしようもない時代を生きたことのある人々なら見覚えがあるかもしれないが、20年くらい前に流行ったファッションブランドである。小中学生がこぞってこのロゴが印字してあるTシャツを着て、あほみたいな顔をしながら校庭を走り回っていた。現在、公式サイトをのぞいてみるとNOT A JUST BRAND....IT'S A LIFESTYLE.と、このブランドの基本コンセプトなのかわからないが意味深な標語を掲げており、当時からそのちょいださスタイルはいい意味で変わっていないなと安心した。

 ただ今改めて見てみるとロゴデザインが秀逸だなと感心する。怒りの表情を浮かべているのに、なぜかかわいい。

 クソガキがクソガキなりに本気で精一杯怒っているのだが、その怒りのパワーに比べ、実際に実力行使した際に発揮される物理的なパワーがめっちゃ小さく、すんごい怒っているのにも関わらず、現実世界にはなんの影響も及ぼさない無力な小僧、みたいな感じがしてなんか微笑んでしまう。

 だからこのシロフクロウもぷんすかしてるクソガキのように見えてかわいく感じてしまったのかなと思うほー。

 

1カ月間毎日、多摩動物公園に行ってみた。11日目

今日はこんなんやってまして

夜七時ごろに、来園してみました。あんまり人いないかなあと思っていたらめっちゃ人いた

 太陽が沈んだ後のほうがむしろ、活発に動き出す動物のほうが多そう。という偏見を持っていたのは私だけでなくたくさんいたのか、がちでいつもの20倍くらいの来場者がおり、大盛況もいいとこだった。雰囲気的には花火がよく見えるちょっとでかい公園にべスポジを求めてやってきた烏合の衆が、それとなくけん制しつつ、しかし傲慢さをとがめられない程度の紳士さをギリギリ保ちながら、共有地の奪い合いを繰り広げているあの夏にそっくりだった。

 キリンがナゾノクサをもしゃもしゃしながら至近距離まで近寄ってきたところを闇夜に紛れて激写しようとたくらんでいたが、いくつかの家族連れに阻まれ、その目論見は失敗に終わった。その時の写真

  

 一カ月マンは、ごーまんかましてよかですか?とささやきながら、目の前にいた肩車をしている親子に近づき、父親の肩の上に乗っている子供の肩の上まで、蛇が木を登るがごとくしゅるしゅるーと這い上がろうとしたが、すんでのところで踏みとどまった。なぜなら世間体を気にしてしまったからだ。そんな自分が恥ずかしい。

せめて、その隣にいるカップルに頼み込んで三人組を作り

この状態の一番上の人か

この状態の一番奥の人か

逆さマンモスの真ん中をやらせてもらったうえで、写真とかどうでもよくなっていい汗を一緒にかきたかった。

 サマーナイトにお越しの際はぜひ、こんな目に合わないように譲り合いの精神を忘れずたのしみましょう。ありがとうございました。