1カ月間毎日、多摩動物公園に行ってみた。19日目

 こんにちは、一カ月マンは、サルでもわかる○○みたいな文章を見たときに言いようのない怒りをかすかに感じる。

 それは、人間の果てしない傲慢さを感じ取るから。プラス、自分がサルであるという自負心を持ち合わせているから。サルを馬鹿にしないでほしい。

  一カ月マンはサルのことが好き。他人のお母さんが握ったおにぎりは食べれないが、他人のサルのお母さんが握ったお握りなら全然食べれる。むしろ喜んで食べるだろう。

ていうか、他人のサルのお母さんがスクワットしながら握ったおにぎりでも余裕で食べれる。そのほうがなおいい。なぜかわからないがスクワットしながらおにぎりを握らされ、変態人間にそれを食われるという、意味不明状況下で身体も思考も硬直化し、完全にてんぱっているサルの瞳をまっすぐ見据えながら鼻息荒くおにぎりを貪り食いたい。ボクサー同士が対戦前に報道陣に囲まれながら、メンチを切りあう謎の儀式があるが、あれのようにほとんどゼロ距離で挑発しつつ、お母さんサルのメンタルに対してなんでもいいから影響を与えたい。もちろん目線を合わせるために一カ月マン自身も一緒にスクワットをしながらであることも忘れないでほしい。

 願わくばではあるが、他人のお母さんサルが知らん人間にスクワットしながら握ったおにぎりを食べさせるという理不尽な要求を承諾した動機が、善意であればこんなにうれしいことはない。その善意をがくじける瞬間を目の当たりにしながら食べるおにぎりはどれほどうまいことだろうか。お母さんサルは「誰かのためになるのであれば、自身の心労など構うことではありません、いくらでも協力いたします」的なことを最初はいうだろうが、この珍事を体験した後には「無念」と一言つぶやき、憎しみを込めた瞳で私のことを見つめてほしい。

 ここでのポイントは、一カ月マンは法的には何の罪も犯していないということである。刑事でも民事でも裁くことができない事態に対しては、報復するすべはなく、せめてもの報いとして倫理の側面から非難をぶつけることしかできない。その非難が何よりも至高のおかずになるところが倒錯した一カ月マンの持ち味であり、欠陥でもあるのだが、人間というものは押しなべて気色の悪いもの、矛盾そのものであるから何とか溜飲を下げていただきたい。

 しかしこれはただのプレイであることを皆様方には了解していただきたい。本気ではなくふりをしているだけなのです。本当の変態はもっと凄まじい。これはただの猿真似ですのであしからず。

ありがとうございました。